横浜、子安運河にて漁船を描く

このブログも長い間ご無沙汰していました。今後は、小さな事でも、心に思い浮かぶものを書いてみたい。友人のように上手な文書、ピリッとわさびが聞いたエッセイ―とはいかないが書き物を続けるという習性をつけるのは困難だが心がけたい。

さて、昨日、スケッチ会に参加した子安運河について書いてみたい。常盤橋から富士見橋まで歩いた感じは、ここは昔と言っても埋め立て工業団地ができるまでは、有望な漁港だったのであろう。私が住む浦安も昔は同じような漁港だったのであろう。しかし、ここは、浦安と違って、漁船から艀を通って民家につながっている家も多かった。ということは、まだ、東京湾で魚が捕れて生計が立っているのだろうかと思った。ただ、よく見ると、廃船が倉庫のようになっていて、ビニール管が沢山保管されたり、工業機械が積まれている廃船もあった。ということは、今は漁民というより中小企業の製造業を営んでいるのかと思った。

ここの風景をみると、私が30年ほど前に業務出張していた、タイの運河沿いに住む人々を思い出した。そこは、子安運河のようであるが、住民が活き活きと生活をしていた。子安のように漁船を係留しているだけのところではなかった。

スケッチは、絵画のページをご覧ください。

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